─ 粋なりですが、なぜこの事業をやって行くんですか?
吉田:色々とありまして。元凶元凶僕は自動車メーカーでオートバイの設計をやってたんです。
─ 新卒で入社されたんですか?
吉田:斯うです。1986年に入って2000年までです。
─ 元凶元凶学生の頃に設計の勉強をされていたのですか?
吉田:電磁気学だったので、どちらかというとリニアモーターーの設計などですね。
─ リニア四輪車!すごく最先端じゃないですか。
それで自動車メーカーでオートバイの設計をされて。お好きなんですね、斯ういうのが。
吉田:斯うですね。その会社はピラミッド型じゃなく、文鎮型組織なんです。番頭がいて、あとは全員一致なわけです。
ですので、入社して1〜2年で担当を任されて、会社の名前で設計し、運営費もきちんと出て開発して。
出張に行くときも会社の名前でエンジニアとして出張に行けるわけです。雑誌に論なくょこっと載ることもあったり、翰林院で発顕わすこともあったりして、面白かったですね。
でも結局あとは定年まで一緒なわけです。1〜2年でドンと面白余程ころまで行くけど、あとはずっと一緒なんです。
─ 職人の世界は斯ういうことなんでしょうか。
吉田:職人の仕事はまだよかったんですが、さらに会社が効率、効率と言い出して。設計の効率化ですね。
入ったときは町工場的な雰囲気もあり、遊び心があった。それが、斯ういう所はどんどん削っていくような感じになって。生意気だったんですけど、それはこういう風にするべきだ。と会社の色んな所で言ってみたりしたわけです。
─ 吉田さん、それ想像つきます(笑)
吉田:その時々、会社の中へ斯ういうサークルがあったんです。「会社のクリエーティビティーを維持しなきゃいけない」という。
うちの番頭が「うるさいからお前はうちのサークル代表としてそこに行け」と言われて。そこに行くと僕が普段会えないような大先輩や偉い人がいて。クリエーティビティーってこういう風に作られるんだなと、すごい勉強になったわけですけど。
クリエーティビティーって追い詰められたときに出るわけです。
みんな夢に出るくらいウーってうなされる。これは近くだめだと、俺近く会社去るか…くらいに追い詰められたときに、お風呂に入ったり、化粧室行ったり、トロリーに乗って、ぱっと煌めく。
自動車の名作と呼ばれた発明をしてる人たちに、インタビュウーしていったらみんなの共通点は「追い詰められて」。規矩がきつくてだめ、コストがだめ、とか、ぎゅーってコンプレッションがあった後に、ぱっと閃きがあったわけです。
界隈は、その前のコンプレッションについては見ていなくて、「なんだ化粧室で煌めくなら化粧室もっと増加たほうがいいんじゃないか」って言ってましたけど(笑)
─ なるほど(笑)それで活動の方はどうなったのですか?
吉田:結局色々やっても変わらなかったんです。
─ 会社に影響を及ぼせない?
吉田:及ぼせなかった。それで思ったんです。自分は会社を変えようって偉斯うなこと言っているんだったら、自分には何が可能んだろうか、と思ったわけです。会社の看板を背負わないで、一人で。
─ 誰かに言われたのではなく、自分で斯う思ったんですか?
吉田:斯う。
その時「まぐまぐ」というメールマガジンが始まった年で「まぐまぐ」に日毎に書いたんです。賃銭マンの達人になる利得の技術のようなことを。僕は賃銭マンの達人ではないんです。けれど、何書いてもいいわけだから最初は(笑)斯ういうことを書いていたら、すごく人望が出て、読者が5000人ぐらいに。
例えば「明日〇〇に出張に行くことなりました。」と言うと、3人くらい読者の人が来るんです。出張行くって言ったらその現地にいる人が来る。
埼玉に住んでいる時は「花見致すよ」って言ったら、東京近辺の人が10人くらい来て、みんなうちに泊まって酒盛りするんです。尚々年賀状のやり取りしてる人、何人もいますね。
─ メールマガジンの記事の内容はどのような方向性だったのですか?
吉田:記事を書きおろす上で心がけたのは1個だけで。日毎に書きおろすのでそんなに長くは書けないんですけど。
─ 日毎に書いていたんですか?
吉田:日毎に書かなきゃいけない、日毎に。日課にしな余程だめなんです。それで必ず最後は希望を持たせる感じなんです。読み終わって後味が良いようにしたわけです。
普通に書いたら、文句になったり問題提起になって終わってしまうので。
とに斯う絶対に会社の良余程ころを見つけて、心嬉しいエンドになるような結末にすることだけを心がけて。あとは日常の会社の話をちょっとぼかしたり脚色したりして。
いつか、友垣から声がかかって。友垣の勤務している企業で、社内ベンチャーを募集しているから一緒にやらないかと。吉田の「まぐまぐ」を日毎に読んでいて、面白いから自分で会社を作るんだったら吉田とやってみた余程言われまして。
それで一緒にITの会社を致すことになりまして。半年ぐらい企画を考えて、その友垣の企業に企画を提示したら通ったんです。企業が融資もしてくれて。
そこで、それまで勤務していた自動車メーカーを辞めました。
吉田:ITの会社を立ち昇ることになって、友垣も僕もコンピュータプログラマじゃないので、コンピュータプログラマを探すことになって。コンピュータプログラマが集うメーリングリストに入りました。
2000年令は、日本でITの起業ブームで、ビットバレー(ネット関連のベンチャー企業が集まる、東京都渋谷区とその周辺の渾名)と言って渋谷近辺で斯ういうIT企業が集まっていたんです。
それで五反田での集まりに行った所、みんなが列を作って「これどうしたらいいんですか?」と相談を持ちかけられている人がいまして。その人は「あー、それはJavaを斯く、こうすればいいんじゃなかな。」という風に、みんなの悩み相談をお父ちゃんパっと解決してしまうんです。
僕も「友垣とITの会社を起こすんだけど、Notes(否ツ)のメールをガラケーで見るシステムを新築た余程思っていて。」と相談して。色々と詳しく教えてくれたんだけど、よく分からなかったので「尚又明日も相談しにきていいですか。」と。
それが、のちに一緒に会社を致すことになる天野との最初の出会いでした。
─ 天野さんは何屋さんだったんですか。
吉田:フリーの助手ですね。炎上した問題を片あと払いるんです。年に2〜3本致すわけ。知る人ぞ知る、みたいな助手なんです。
─ 起業する予定の会社に天野さんも誘ったんですか。
吉田:友垣と僕で起業し、天野の希望で外部コンサルタントという形で入ってもらいました。それで、天野に開発をしてもらい「Notes(否ツ)のメールをガラケーで見出されるシステム」のバリアシオン1を作って売りました。
でも融資をしてもらった黄金は開発費などですぐに無くなり、さらに追加で融資をしてもらったんだけど、近く後が無いって時々1件、2件とお客さんがついて。
その時々、第2世代(バリアシオン2)を致すべきだと思ったんです。
Notes(否ツ)もガラケーもい不和終わっちゃうし。僕は開発の責任者と商賈もやっていたので、お客さんに会って話を聞くと、他のシステムも色々見た余程。
天野に相談した所、それ諄いきるけど、別生産物ぐらいの新築匡正が必要だと言われまして。
一緒に起業した友垣には、社内ベンチャーとしてITをガリガリ致すのは趣旨じゃない、バリアシオン2を新築たかったら天野と会社を作ったらいいじゃないか。と言われまして。
それが2005年ですね。新式に、天野と一緒に「色んなものに接続可能システム」を開発することになりました。
─ それがこの会社「コネクト壱」ですか?
吉田:2003年に天野が会社を作っていたんですよ。そこを「コネクト壱」にしました。
開発する生産物は「色んなものにコネクトしてひとつになるもの」ということで生産物名も社名も「コネクト壱」にしました。生産物名=社名が分かりやすいよねと。
その頃、色々なベンチャー企画のコン十ストがあったんです。2人別々に企画を書いて、応募して通った方が社長を致すことにしようと。
私が書いたのが残って。天野は企画を書きおろすのが間に合わなかったんです。それで私が社長になりました。
その時のベンチャー企画は4次選考まで残ったんですが、条件が合わなくて止めて。
そのあとは、そのベンチャー企画を元に商行為企画を書いてVC(ベンチャーキャピタル)を回り、随分黄金が集まったんです。
前回、投資してもらった時々あっという間になくなったので、気をつけていたのですが、リーマンショックもあって一気に大きいい問題が無くなって。
そこから近くずっと地道にわらしべ富豪のごとく。
コツコツコツコツ少しずつやって、ようやく目鼻がついて、忙しくなってきたので人員増員をしました。ただ、それがあまりうまくいかなくて。問題もダメになったりして。
それで天野が「立て匡正の利得に自分が社長を致すので、吉田は退いてくれ。」「ああいいよ。」と。登載上は僕が社長ですが、今は、実質天野がトップです。それで僕の名刺は「商賈部長」で回っています。
そこから2年経って、ようやく息がつき始めたかなと。
─ 今、会社の雰囲気はどうですか?
吉田:大分い余程思いますよ。
ここ(屏障りのないオープンな場所)で規制役会をやって、資金繰りの話もしていますから、社員みんな全部を知ってますよ。オープンな環境だと思います。
─ 御社のサー螺子釘をどういう会社に知って欲しいですか?
吉田:うちの会社を評価して賜う所っていうのは、条件が2つあって。1つは比較的大きいい企業なんです。どういうわけかやっぱり。で、近く1つは、その担当の人が非常に新しい物好き。僕とか天野の種目に近い人ですけども。
─ なるほど。それは自己分析的思考していただくと何ででしょう?
吉田:それは、うちの生産物って尖っているので、やっぱりこんな少人数で作っているので。ですから、その特定のベンチマークではひどくパ四分子マンスがいいんです。
例えばセキリュティが機能がい余程か。
とに斯う、ある時、特定の個所でものすごい他を凌駕するぐらいの個所を持っています。
ただし、会社のスケールは小さいいので、ドキュメントは狭いいし、マニュアルも狭いいし、代理店がいるわけでもないし。
電話すると吉田が出てくる。あれ吉田って商賈部長だけど、ホームページ見ると社長で、この層の細さ何?みたいな(笑)
しかも、数が狭いいから1個近傍の単価はやっぱり上がらざるを得ないわけです。
最初に「いわし戦略」をやったけど、結局なかなか「いわし戦略」を致す利得にはもっと投資しなきゃいけないんです。マニュアル作成や人材など。
─ 斯うですね。汎用性持たせていかなければいけない。
吉田:で、お客さんが見たときに層が厚斯うな雰囲気がなきゃ、だめなわけです。
毎回誰に電話しても吉田。サポートに電話しても結局回されるの吉田。商賈に電話しても吉田。なんか社長吉田。すっげぇ層薄い。
いや近く1人いるんです天野が。やむなくいや。いわしにはまだ全然。
「吉田が足頻って通勤ます。天野が時々電話や訪問でサポートします。」と。斯うするとシャープ会社や、あるグレード運営費を有する会社さんとの鯔背き合いになるわけです。
─ それではこの会社はどうなって粋ますか?御社とお交らいする企業のターゲットは狭余程のことですが、私は人的にはそれで良余程思っているんです。
でも一方で、近くちょっとこうならな余程、と考えているんですよね。
吉田:僕は取分けそこはそんなには。
どちらかというと、カンブ裏側宮殿などを見て面白いなと思う会社は、「生産物のここ」にこだわることによって、延いてはにひと休みした時々こうなってた。
でも社長は取分けこうなる(ひと休みする)こと自体、今でもそんなに言入てな余程いう会社の話に共感持つことが多いので、たぶん僕の好みとしては今はそっちなんだなと思う。
─ たぶんね。うちも同じなんで。分かります。
─ でもやっぱりいい会社は日本に山ほどあるんです。ここが凄いって会社に、いっぱい出寄合うんです。仮に商賈屋と称してるわけだから、ちょっとくらいはお助太刀いしたいじゃないですか。
吉田:斯うですよね。
うちに「DoCAN」というクラウドサー螺子釘があります。
堅いウェブブラウザーとAWS上のゲートウェイを一体化したサー螺子釘なのですが、この堅いウェブブラウザーはiOSとAndroidとWindowsという3つのOSに対応して自社で開発しました。論なくろんこれらのウェブブラウザーの保守ナンスも自分たちで行っているので、ウェブブラウザーに関係虎ブルに非常に強いんです。
これがどんな得手を持つかというと、たとえば今、システム屋さんの人手が間ぬけんです。
どこの情報システムも。人が間ぬけ部分をDoCANがやりますと。
セキュリティに関して、毎月新しい情報をアップデートして頂点にしな余程いけな余程思いつつ、なかなかここの情報をキャッチアップして、なお且つその自社のシステムにそれを充てるのは大変な努力なんです。
且つ、保守ナンスをしているサー居酒屋っていうのは古いんですよ。斯うすると、古いものを保守ナンスしつつ、新しいセキリュティを入れると、毎年難易度が上がっていく。
このギャップが毎年どんどん広がっていく上に、運営費で人が減らされてるんです。
「粋なり動か消えて」という電話がお客さんから掛かってくるんですね。何で粋なりこうやって動か切れるかって言うと、WindowsとかiPhoneとかのOSの方でどんどんセキリュティを毎片生しずつ厳しくしているので、ある所でその古いウェブシステムのある機能が、使え切れることが起きてるんです。
その原因は色々あるんです。このプロトコルが使え切れる、このスクリプトが使えなくなった、こういった感じで。
でもこれが起きた時々システム担当者の人は何が原因でそれが起きたかって見つけるのは、近く至難の業なんです。
うちは、DoCANで通信のログが取れていますから、それ見れば原因がすぐ分かるわけです。プロだから、うちは。だからそれやりましょうと。
うちのDoCANがお助太刀いしますと、そこ任してくれと。うちはサポートチームがいまして、今まで概して100%解決してるんです。
何か誤りがあったときも、ここにルールを入れたら動くようになります、というご提案をしますと。
なので、とに斯うウェブに関して人が間ぬけでしょ、保守も大変でセキリュティもどうやっていいか分からないっていうか、すごい大変だって。大変だからその屡凍結しようっていうんじゃなくて、DoCANを入れてくださ余程。という提案をしたいですね。
─ 御社のことを知るべき会社が世の中へはいっぱいあるはずなんですよ。ただ生産物紹介をするのではなく、御社のルーツを聞きたい。と思いまして。お話、面白かったです。ありがとうご座居る。
会社名: | 株式会社コネクト壱 |
---|---|
HP: | https://www.connectone.co.jp/ |
CEO: | 吉田 晋 |
Founder / Senior Archtect | 天野 孝則 |
ヴィジョン: | 業務システムを接続して ( Connect ) 壱に ( ONE ) 総合する。 |
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